はじめまして!植木屋・植琢庵
(しょくたくあん)と申します!
屋号の由来は、植木の植の字
そして、琢の字これは自分の名前から一字取ったのもありますが、この字には読み方が
まだあります。それは「みがく」という意味です。琢=磨に繋げて考えた屋号でもあります。また、庵の字は昨今。少なくなりつつある茶室や露地の仕事も御縁があれば携わらせて頂きたい!そんな願いも込もっています。
改めて、自己紹介致します。
植木屋・植琢庵の代表・川瀬琢也と申します。1989年平成元年生まれ現在34歳です。この職業に興味を抱いたのは高校入学後でした。私は中学時代
あまり勉強が好きな方ではなく、かといって部活に精を出していたワケでもありませんでした。当然、そんな感じでしたので本命の
公立高校の入試に落ち。滑り止めに受けていた私立高校1校(合格)がありましたが、親の負担を考えて、私立を断念しました。つまり後が無く残すは公立高校の二次募集のみ。
そして、何とか合格出来た高校が私が3年間学び卒業した、農業高校でした。私はその
学校の環境デザイン科という学科に入り
そこで「造園」というモノを知りました。
その時まで、何も知らない皆さんと同じで
ハシゴで木に登りハサミでチョキチョキ程度のイメージしかありませんでしたが、
それだけではなく沢山の仕事内容があるのだと知りました。実習では校内樹木の剪定
測量、CADにレタリングや基礎製図など
それらを勉強しました。そして卒業後に
最初の某造園会社に入社しましたが、
当時。私は要領も物覚えも悪く。オマケに
体力もありませんでした。随分と
親方(社長)や先輩方に怒鳴りつけられ
嫌味を言われイビられながら仕事をしたものでした。そして、見込みが無いと思われたのでしょう。入社半年でクビになりました。
当時はかなり腹が立ちましたが、今の自分から見ても、やはり見込み無い奴と見たかもしれません。2009年平成21年7月の事でした。その後、次の植木屋さんが見つからず
まったく関係ない仕事をしていたのですが、
翌年の1月に知り合いの方から隣県である
福島の浜通りの小さな植木屋に行かないか?と言われ。そこで2年お世話になりました。親方はそれなりの高齢の方で若い頃は近江で修行をされたと話していました。滋賀県と
言わずに「近江」です(^-^;場所も場所で
今尚地名が残る甲賀だったそうです。まさに忍びの里。大昔の名残なのか、あちらこちらにある古い家屋は室内に隠し吊り階段、回転扉、果ては襖のレールが外れるようになっており中に刀や槍も保管してあったそうです。そんな場所ですから親方の親方の御先祖様も忍者?だったようで、お庭の歩き方なども
ベタ足でダラダラ歩くな!爪先のみで跳ぶように地を小走れなどと教えられました。その他にも、お客様に対する姿勢や態度など、
多く学ばせて頂き、仕事も今では廃れた作業などにも件数は少なかったですが、させて頂きました!親方の親方の御先祖様は、あの
戦国の天魔・織田信長とも甲賀攻めの際に
戦ったとの話しも聞いたそうで、スゴい場所で学んだ方なんだと親方を尊敬したものです(^-^;そんなこんなで、2年近く働かせて頂いていたのですが、2011年平成23年
3月11日がやってきました。そうです
東日本大震災です。津波にトラックや重機に植木や石。小さな社屋は根こそぎ拐われ
親方は即日で廃業を宣告。他にいた60代の方が2人、40代の方が1人、皆さんバラバラになり、その後。親方はご病気亡くなりました。そして、自分は宮城に戻り。これまた、まったく関係ない仕事も途中しつつ
あちらこちらの造園会社や外構会社で
アルバイトや手伝いなどもしつつ都合
造園経験6年・外構経験2年でつい先々月に独立をしました。そして、現在2023年
令和5年12月に至ります。妻と3歳の娘の為にしっかり働かなくてはなりません!
お客様からの御依頼を御待ちしております!仕事は丁寧、綺麗、早くをモットーにしています!
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